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東京地方裁判所 昭和45年(合わ)502号 判決

主文

被告人を懲役七年六月に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

押収してある文化庖丁一丁および右庖丁の鞘一個を没収する。

理由

(罪となる事実)

被告人は、三重県の商業学校を卒業して名古屋市内で店員、事務員などをしているうち昭和三五年頃板金工丸山雅美と知り合い、そのすすめで板金の技術を身につけ、じ来、丸山と共に大阪、名古屋方面の板金関係の職場で板金工として働くようになり、昭和四五年八月下旬右丸山および名古屋の同じ職場で働いていた板金工尚末吉(当二七年)、鈴木国夫らと上京して東京都江東区北砂二丁目一〇番三号の株式会社岩本板金工業所に勤め、同工業所二階の宿舎で右三名と共同生活をするようになったが、間もなく右三名と共に独立して同所にひきつづき居住しながら同工業所の下請業を共同で営むようになった。この間被告人および丸山が年輩の故もあって仕事の采配をまかされる立場にあったが、尚末吉(当時二七年)は酒に酔うと暴れることが多く、同年一一月はじめ頃には丸山が尚を四人の共同請負から追い出して代りに畠山某を仲間に入れようとしていると誤解して暴れるなど、仲間の折合いは必ずしもよくなかった。

被告人は

第一、昭和四五年一一月一二日夜前記尚と酒を飲んだ際、口論の末、同人に顔面を殴打されて受傷したため、翌一三日から仕事を休んでいたが、被告人同様仕事を休んでいた尚に対し、宥恕するとはいったもののろくに口をきいてやらなかったため、同人は、前記畠山某の件もあって、被告人はじめ仲間の者が自分をのけものにしていると考えて憤慨し、同月一四日夜、被告人が競艇や映画に出かけた留守中、丸山に対しもう仲間からぬけるから賃金を清算してほしいと言い残し、丸山の慰留もききいれず酒を飲みに外出した。

被告人は同日午後九時ころ宿舎に帰り丸山から、右の事情を聞かされ、尚が仲間をぬけるのもやむを得ないと考えて丸山とともに尚の賃金を清算するため、計算を済ましたうえ丸山と二人で外出して飲酒し、午後一〇時すぎころ宿舎にもどった。ところが、酒に酔って既にもどっていた尚が、被告人らに対し、「勝負してやるから出てこい」と強い剣幕で怒鳴り、宿舎の外の路地に右二人を連れ出し、被告人に対し、「何故ものも言ってくれないんだ。」「その位の傷でどうして仕事を休んだ。」「競艇に行くくらいなら仕事に出たらいいじゃないか。」「お前と勝負してやる。」等とくってかかり丸山にも同じようにからんだりしたが、丸山から清算した賃金を受領していくぶん和らぎ、午後一一時ころ「世話になったから。」と丸山を誘って飲みに出かけた。被告人はこの間、「仕事を休んだのはわるかった。」等と謝って尚をなだめたものの、尚の勝手な言分に内心不快の念を禁じ得ず一旦宿舎の部屋に帰り、就寝するため布団を敷いたものの尚が日頃から酒癖が悪く、以前にもコップや木刀を持って暴れたこともあり、さらに先刻の剣幕が尋常でなかったことから、右丸山が尚から暴行を受けるのではないかと案じ、その際には尚を脅すために使おうと思い、かねか部屋の手提鞄の中に入れてあった自炊用の長さ一五・五センチメートルの文化庖丁一丁を取り出して腹巻きの間に差し込んだうえ、午後一一時三〇分ころ、二人につづいて東京都江東区北砂二丁目一三番七号バー「グリーン」に赴き先に来ていた丸山、尚と共にウィスキー等を飲んだ。この間尚は比較的平静な態度を持していたが丸山が一足先に帰った後、被告人と二人で翌一五日午前一時ころ「グリーン」を出て宿舎へ帰る途中同区北砂二丁目一三番七号砂町タイヤ商店(オーツタイヤ)西側路地にさしかかった際、また突然怒り出し、「顔ぐらいの傷で何故仕事を休んだ、からだはなんでもないじゃないか。」と前記同様のことを繰返してからんで来た。被告人は先刻来の同人のしつこい態度に腹をすえかね、同人に対し「自分はからだが悪くないくせになぜ休んだ。」と言い返したところ、同人は、「何をいうか。」というなり、被告人の肩を右手で突き、後によろめいた被告人の顔面を両手で二、三回殴打した。このような尚の理不尽な態度に接した被告人は、憤慨の余りやにわに腹巻の中に隠し持っていた前記文化庖丁を取り出し、場合によっては尚の死に至るかもしれないことを知りながら、力をこめて尚の右下腹部を一回突き刺し、その場に一旦倒れた同人が起きあがって逃げ出すや、同人ともつれ合ったりしながらその後を追い、約二〇〇メートル南下した同区北砂二丁目六番六号松岡カーテン前路上で同人に追いつき、「まだわからないのか。この野郎。」等と叫んで同人を押し倒す等して、ようやく追撃の手をゆるめたが、前記の庖丁を突き刺した行為により尚に対し、深さ九センチに及ぶ下腹部右側刺創を負わせ、同日午前一時五〇分ころ、同区北砂二丁目一番二二号寿康会病院において、右刺創に基く、小腸、腸間膜、下腸間膜動脈等損傷による出血のため同人を死亡するに至らせて殺害し、

第二、業務上その他正当な理由による場合でないのに、前記第一記載の同区北砂二丁目一三番七号先路上において、刃体の長さ一五・五センチメートルの前記文化庖丁一丁を携帯した

ものであって、被告人は、判示第一の犯行直後の同日午前一時すぎころ警視庁城東警察署に出頭して右犯行につき自首したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(弁護人の主張に対する判断)

一、弁護人は、判示第一の犯行について被告人には殺意は認められず、傷害致死罪が成立するにすぎない旨主張する。

しかし前掲関係各証拠によって認められる次の諸点、すなわち、

1、犯行に至る経過をみると、被告人は、判示のごとく本件犯行の二日まえに尚に顔面を殴打されて負傷し、二日間仕事を休まざるを得なかったにもかかわらず、かえって犯行当夜尚から再三にわたり、被告人が同人に口もきかず又仕事を休んだなどといいがかりをつけられ、更にバー「グリーン」を出たあと肩を突きあるいは顔面を殴打する等の暴行を加えられるに至ったため同人に対して強い憤慨の念を抱いて判示犯行に及んだものであること、

2、判示犯行に供した兇器は刃体の長さ一五・五センチメートルに及ぶ鋭利な文化庖丁であって人を殺傷する能力を十分に有するものであるところ、被告人は、自炊などに使用してその性能を知っていたものであり、これによって身体の重要部位である右下腹部を強く突き刺していること、

3、さらに、起き上がって逃げる尚を、庖丁を持ったまま、二〇〇メートルも追いかけ、追いつくや「まだわからないのか、このやろう。」などと罵倒しながら相手を手で押し倒すなど執拗な攻撃を加えていること等本件犯行の経緯、態様、凶器の形状、その用法、創傷の部位、程度等にかんがみると、被告人は少なくとも尚が死に至るかもしれないことを予見しながらこれを認容するという、いわゆる未必の殺意をもって本件犯行に及んだことは十分に認め得る。従ってこの点に関する弁護人の主張は採用しない。

二、次に、当裁判所は判示のとおり被告人の自首を認めるのであるが、検察官はこの点につき反対の見解を開陳しているので、若干の説明を加えることとする。

まず被告人の自首に至る状況を検討するに、≪証拠終≫によれば、被告人は、判示のように尚を突き刺した後迯げる同人を追って判示松岡カーテン前路上に至り尚を押し倒し、そのまま動かない同人を見て、「大変なことをしてしまった」と考えその足で、自首すべく前記文化庖丁を手にしたまま近くの警視庁城東警察署へ向ったが、たまたま松岡カーテン前の被告人と尚との行動を目撃していた通行人の登坂昌がいちはやく右警察署にかけつけ、同署勤務の警察官に対し「すぐそこの信号機で何か刃物で刺されて倒れている、刺した男が今そこに来たからつかまえてくれ。」との趣旨の通報をし、右通報を受けた警察官らが同署前の路上へとび出したところ、折柄同署から三、四メートル先方の道路上を庖丁を手にしてやってくる被告人を認めたので、被告人が署内に入ろうとした直前同署の玄関前約一メートルの地点で四、五名でこれを取り囲み、「どうしたんだ、お前がやったのか。」等と尋ねたところ、被告人は右庖丁を手に持ったまま黙ってうなだれたままであったので、警察官らは被告人を準現行犯人と認め逮捕したという経過が認められる。右認定の経過を前提として自首の成否について判断するに、

1、まず、本件において目撃者登坂昌が警察官に対してした通報の内容は、犯人の特定ということに関しては、前述したとおり、犯人が警察署の方に来るという趣旨を述べているだけであり、犯人の住居、氏名、人相、服装、身長、年令等には何ら触れているものではない。もっとも、警察官としては警察署の前に出たとたんすぐ前方を庖丁を手にして警察署の方に近づいてくる被告人を見て、前述した通報の内容と照らし合わせ被告人が犯人であると判断したものと認められるから、前記の通報も犯人の特定識別に役立っているということができる。しかし、右通報は、あくまでも前記の警察署前での被告人の行動と相まってはじめて犯人の特定についての意味を持ち得るものであったと認められるところ、右の被告人の行動は警察署に自首するために必要な、しかも自首の直前(むしろ寸前)の行為であって、このような自首に密接する行為に、犯人の特定についての意味を持たせて自首の事実を否定することは、犯人の改悛の情の斟酌ないし捜査および処罰を容易ならしめるという自首制度の趣旨からみて相当でないといわざるを得ない。したがって、本件において、登坂昌の前記の通報内容をもってしては犯人を特定するにはいたらず、当時、犯人が誰であるかはいまだ捜査官に発覚していなかったというべきである。

2  そして、被告人は、署の前で警察官に取囲まれた際自己の犯罪事実の申告を、口頭で明示的には何ら行っていないけれども、前記のごとく、警察署の中に入ろうとし、庖丁を手に持ったまま、沈黙してうなだれる等警察官の質問を肯定する素ぶりであったこと、逮捕の直後には、茫然自失し、なおも沈黙をつづけたとはいうものの、ことさら犯罪事実を否認する態度をとっていたわけではないこと等にかんがみると、被告人は、当時自首する意思をもって、黙示的に犯罪事実の申告をなしたものと認むべく、この点は、被告人の右逮捕にあたった証人岡田照雄も、当公判廷において被告人の右態度により自己の犯罪事実を認めているという印象を受けた旨供述しているところからもうかがわれるところである。従って、判示第一の犯行につき被告人の自首がなされたものと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、刑法一九九条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、自首がなされたので同法四二条一項、六八条三号により法律上の減軽をし、判示第二の所為は、銃砲刀剣類所持等取締法二二条に違反し、同法三二条二号に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、右は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役七年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち六〇日を右の刑に算入することとし、押収してある文化庖丁一丁は判示第一の犯罪行為に供した物であり、ボール紙製の鞘一個はその従物であって、いずれも犯人以外の者に属しないことが明らかであるから、同法一九条一項二号、二項によりこれを没収することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

判示第一の事実については、被害者尚が、再三にわたり被告人に身勝手ないわれのない非難を浴びせ、さらには殴打する等の暴行を加えたため、日頃おとなしい被告人もついに激昂し、判示犯行に及んだものであって、被害者側にも、その原因を作ったものとして非難すべき点がある。また、被告人は、本件犯行後、自己の犯した犯罪の重大さに気づき、直ちに自首しているのであって、犯行直後から改悛の情を示していたと認められる。

被告人は、昭和三一年と三三年と二度の窃盗の前科を有する者ではあるが、それ以後は真面目に働き、板金工としての技術を身につけ、腕もよく、昭和四五年八月下旬上京後は、仲間四人のリーダー格として信頼され、岩本板金工業所の下請業を営んで来ておりこの間の被告人の更生の努力はかなり評価することができる。また、被告人は性格も温和で実兄の家族を万国博覧会に招待する等の思いやりも示しており、本件犯行前も酒癖の悪い尚に色々と意を用い喧嘩にならぬよう努めていたことが認められる。しかしながら、反面、たとえ相手から暴行を受けたにしてもその為鋭利な刃物で被害者尚の右下腹を一突きし、その生命を奪ったということは、そのこと自体最大の非難に値すると言わねばならない。さらに本件では、刺されて逃げる尚を二〇〇メートルも追いつづけ罵倒し押し倒す等の行為をしており攻撃的意図も執拗である等の点をも考えると、前記のごとく有利な情状を斟酌しても主文掲記程度の刑は止むを得ないものと考える。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林充 裁判官 田口祐三 平湯真人)

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